戸部にあるくらやみ坂と願成寺と久成寺

くらやみ坂(くらやみざか)は、神奈川県横浜市西区の区役所近くにある坂。

ただの坂と思いきや、先日妻の実家に行った時、この一帯に詳しい妻の祖父から、くらやみ坂の存在や昔その一帯には処刑場が設けられていた事を聞かされた。

確かに電灯も少ないせいか、夜になるとちょっと薄暗いなぁ〜と感じていたけど、別にそんな雰囲気は微塵も感じなかった。後日昼時に改めて行ってみると、坂の中腹に「くらやみ坂」と書かれた石塔とその横に目立たない小さな祠があった。

Wikipediaでも横浜開港以降、その旨が紹介されている。

西区戸部には、横浜開港以来この坂の周辺に神奈川奉行所の処刑場が設けられ、明治22年まで監獄が所在した。処刑場跡と思われる場所には祠があり、被処刑者の魂を祀ってある。
近くにある、願成寺にはこの地で処刑されたと言われる、清水清次・間宮一、鳶の小亀の墓があり、最近では島田荘司の小説『暗闇坂の人食いの木』の舞台にもなっている。

処刑場がどこにあったのか全く興味は無いけど、気になったので周辺を散策してみた。

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横浜西区役所からすぐの場所にある坂道

横浜ではよく見られる急な坂道。

昔は戸部村と保土ヶ谷宿の往来に使われてたらしく、保土ヶ谷道の一部。戸部町の稲荷神社の庚申塔から西前町交差点に至っている。

中学校の塀が見えてくる。

坂道を見下ろす形で撮影。フルーツの詰められた紙袋をこぼしてしまうと、間違いないなく車の往来が多い道路まで止まる事無く、転がり落ちていくような坂道。

この一帯も最近ではマンション開発が進んでるみたいね。

坂道の中腹まで歩くと、冒頭写真のくらやみざかの石塔がある。

ちなみにこのくらやみ坂の名前の由来だけれど、この坂からの入り江の景観が素晴らしくて源頼朝も馬(鞍)を止めて眺めたからとか、急坂であったため、人々は馬を止めながら登ったとか、刑場があり鬱蒼とした暗がりのイメージからとか諸説ある。

公園の隣でもマンション開発が進んでおり、公園が拡張されるらしい。

坂道を登り終えると、中学校がある。ここに通う子供たちは毎日この坂登るのね(;^_^

戸部牢屋敷も横浜の発展と人口増加、そして施設老朽化と諸般の状勢から、新しく大きな監獄が根岸にできて、明治三十二年に移転したらしい。

戸部処刑場で処刑された者が眠る願成寺

かつて戸部刑場で処刑された者たちの屍が投げ込まれていた墓地があるらしく、中学校経由でその願成寺にも行ってみた。急な坂道多すぎ。

ん!?なんか往年の名スター達の顔がズラり・・・ここ何だろ!?

願成寺に到着。

どうも戦国時代末期に建立された歴史あるお寺らしく、横浜市登録文化財の指定も受けているそうです。ここら一帯の有力な方・平沼家の方の立派なお墓が入り口付近にあり、他にも地元名士達の多くの墓が並び、古木のイチョウがあったり、結構静かで落ち着いた場所だった。

ん!?

お地蔵さんの足元付近にスライムいるけど・・・

戸部処刑場では色んな罪人が処刑されてるんだろうけど、その中でも特に有名な『鎌倉事件』の清水清次・間宮一、『フランス水兵殺害事件』の鳶の小亀の墓があるそうです。

『鎌倉事件』は、鎌倉に遊びに来ていた英国士官が襲われて殺害された攘夷思想に基づくテロ、かたや、『フランス水兵殺害事件』は遊郭に遊びに来ていた仏国水兵が乱暴狼藉をはたらき、そこに来ていた力士が投げ飛ばし、鳶の亀吉がトドメをさし、罪を全て被ったというドラマにでもなりそうな事件。前者はともかく、後者は今でも根強い人気だとか…

肝心のお墓だけど、当日は人も多かったし、ちょっとお墓の写真を撮るのも・・・だったので撮ってません。寺内では看板に「清水清次・間宮一」と「鳶の小亀」と書いてるので、すぐに分かるかと…

引越し先で身近な場所にこんな所があるとはね。

帰り道は商店街側へ。

あっ、ココ映画館なんだね。今度行ってみようかな。

久成寺の石塔にある慰霊碑

自宅近くにもちょっと関連する場所があり、京急と相鉄線に囲まれた平沼の一画には久成寺という寺がある。元々くらやみ坂にあった処刑者慰霊碑がこの場所に移されたとか。

寺の駐車場の隅にブロックに囲まれ、けして直接触れることを許さないように、「南無妙法蓮華経」と刻まれた大きな石塔がある。

どうやら明治時代、横浜にやって来た侠客の親分、この人は下野国(栃木県)鬼怒川郷の人が、処刑された人々の菩提を弔いたいと自分の身銭を切って、立派な墓石を建てたとか。

それから刑場がなくなり、この碑を守る人もいなくなったので、久成寺の住職をされていた方が県の許可をとり、こちらの移したそうです。

短な場所で色んな歴史が眠ってますね。

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